2015年6月24日水曜日

1日の始まり

私たちの1日の始まり。

まずは、主人の体重と血糖値を測るところから始まります。
糖尿病を煩い、そして最近の大きな問題は、腎臓。
ICUにいた際に、腎不全も起こし、腎臓がひどく弱り、人工透析をすることになり、2−3回、透析をし、あの頃、私は、もし奇跡的に回復、退院できても、呼吸のための酸素ボンベをかついで、そして定期的な人工透析も覚悟していましたが、当時腎臓以上に問題だった、呼吸は、奇跡的に自分で呼吸できるようになり、そして透析も、ICUにいた際に、数回しただけで、その後、たくさんの尿を透析なしでできるようになり、今では、薬を服用するのみ。それでも、状態はあまりよくなく、すぐに、浮腫み、去年、12月、そして今年4月と2回、数日の入院をして、水抜き。その後、自宅で毎朝体重測定をすることと、医者から言われています。最近、多分腎臓からくる新たな問題が出て来ましたが、近いうちに、病院に行く予定。
そして、去年リハビリセンターから家に戻って以来、少しずつ歩けるようになり、今では杖なしで歩けるようになりました。
ただ、腰がひどく痛いらしく、来月、フィジアトラ(専門医)に診てもらうことに。
その後、フィジオテラピア(リハビリ)に通うことになると思います。
腰が治れば、更に歩けるようになるでしょうから、一緒にミラノの公園や、F1サーキットがあるモンツァ公園を犬を連れて、散歩するのを、既に待ち遠しく感じます。

本題に戻り。

毎朝、体重、血糖値を測ったあとは、着替え。着替えは、以前は、1人ではできず、いつも私が手伝っていましたが、ここ最近は、1人で着替えられるようになりました。
こうして1人で着替えている姿をみると、去年の大変だった時期を思い出し、まだまだ問題、心配、不安は山積みですが、ピアノピアニーノに前進していることを、強く感じ、幸せな気持ちになります。


2015年6月22日月曜日

ゼロからの出発

主人と私の共通点の1つは、子供の頃から自立心が強かったということ。
主人の家族は、経済的に不自由していたわけではないが、親から自立したくて、15のときに、革製品を手作りで作る職人のところで手伝いを始め、ちょっとしたお金を稼いでいた。
その後、今のコンメルチャリスタという、日本でいうと公認会計士の資格を取り、会計事務所をミラノの一等地で開き、成功していた。
また、主人の仕事に対する情熱は、会社、店舗経営という形で、今までにいろんな経験をしてきた。会計士の仕事の傍ら、チェーンスーパーの経営や、バールやレストラン、そしてここ最近では、ミラノの中心地で、パン屋や美容院を経営。
彼の祖父は、ウンブリア地方でパン屋を営んでいたからか、パン屋や飲食店経営には、いつも興味を持っている。そして、今までそれなりに成功してきたから、過去の経験からの自信、プライドもある。
そして、いつも友人や家族が困っていたら、お金の援助をしてあげてきた。

マテオが亡くなって、状況はすべて変わった。

当時、モンツァに比較的大きな会社を経営していて、たくさんの従業員を抱えていた。
マテオが亡くなってからは、生きる気力、働く気力もなくなり、トップとしての権限をすべて、ビジネスパートナーに任せ。そこから、会社は転落への道へと。

しかし、それでめげるわけでもなく、その後、パン屋を経営したり、小さな会社を経営して成功し始めていた矢先、去年の入院。主人なしでは、仕事、会社が廻らず、私ももっと入院中に、しっかりパン屋や会社を守っていければよかったのですが、色々な人間関係、様々な問題があり、守れず。これに関しては、今更遅いけど、後悔。

仕事をすべて失った。

去年入院中、主人の意識が回復したときに、自宅にある主人のすべてのロレックスの時計を売り払い。お金は、出て行くばかりで、最近では、義父に送金してもらったり、時々、義弟にスーパーに連れて行ってもらい、すべて支払ってくれている。

私以上に、プライドが高く、そして、今までずっと成功してきた彼だから、この今の状態は、本当に情けなく感じているのが、ひしひしと伝わってくる。昨日も、義父から電話で、来月送金してくれると。

彼は、身体障害者認定を受け、100%労働ができない人という位置づけでいる。でも、今までずっと働き続けていた彼が、じっとしているわけはなく、日々落ち込みながらも、色々と考えを巡らしながら、模索している。今でもたくさんの健康問題を抱えながらも、今年に入り、ミラノの知り合いのところに働きに出ているが、本来、本人がやりたい仕事ではなく、またこの不景気で、定期的にそれなりの収入を得られるわけでもなく、ほぼボランティア状態で、車のガソリン費ばかりがかかり、家計としてはマイナス。

しかし、絶望ばかりしていても仕方ないから、私も何か私に、今の状況でできることがないか、模索中。

ゼロからの出発。彼が少しでも元気でいれば、仕事がなくても、怖いものはない。あとは、仕事を探し、頑張って働くのみ。自分たちの幸せのために。私たちの穏やかな生活のために。

主人は、いつも、自分に貧乏はできないと、強く口にしているから、いずれ、この状況から抜け出せるはず。

健康さえ取り戻せば、そして、笑顔、愛情があれば、この状況も怖くない。
それに、これ以上、状況は悪くなることはないから。これ以上失うものもないから。


マテオ

マテオとは、主人と前妻の息子。
5年前に、19歳のときに亡くなった。
交通事故で。
当時、主人はかなりリッチで、ポルシェが数台、他にも高級車を何台か所有。息子にも誰もがうらやむようなスポーツカーを購入。
そのスポーツカーをマテオの友人が運転、マテオは助手席で。
夜中ものすごいスピードを出していたらしく。
マテオは即死。友人はほぼ無傷。

マテオは、18になった誕生日に、パパと住むことを選び、ママと住んでいたミラノから離れ、この家に引っ越してきた。

ちなみに、私は、マテオが亡くなったあとに、主人と知り合ったから、マテオのことは
実際は知らない。でも、とても近く感じる。
知り合った当時、マテオを亡くした主人の心の痛みを私も感じていたからか。

マテオについては、親戚、我が家にいたお手伝いさんたちに聞いても、みんな口を揃えて、とても礼儀正しく、恥ずかしがりやだったと。そしてとてもハンサム。

何故、マテオのことを書きたくなったかというと。

先月、ある晩、マテオのことを主人と話していて、主人とマテオの形見が入っている大事な箱、当時使っていた財布や、指輪などを見ながら、マテオの話しを聞いていた。そのときに、いくつかある指輪のうち、1つを私にはめていてほしいと。
私には少しごつい指輪だけど、その日以来、お守りのようにはめている。

不思議だけど、それから少ししてから、去年からずっと悩まされていた主人の目眩が、急になくなった。偶然かもしれないけど、マテオが私たちを守ってくれていると、主人が、そして主人と私が未来のために前進するために力を貸してくれているような気がしてならない。

マテオの親友たちは、今でも時々、我が家に食事にくる。1ヶ月程前にも来た。
若者たちだから、たくさんのパスタや他にも美味しいものを作り。
直接マテオを知らない私は、マテオの親友たち、そして彼らと主人の会話から、マテオを感じる。

主人は、最近マテオのページをFacebook上に作った。それは、マテオの思い出のために。
もちろん、息子を亡くした、彼の悲しさ、寂しさ、やりきれなさは、亡くなった当時から変わらないけど、それでも、今は、主人自身、前を向いて生きている。生きれるようになった。というか、生きている限り、前を向くしかない。
マテオが亡くなったことを思い出し、悲しむのではなく、自分が前に進むためにマテオのページを作ったんだと思う。そして、たくさんの人に思い出してもらいたくて。又、マテオを知らない人にも、自分の誇りであるマテオの存在を見てもらいたくて。でも、なかなか、マテオのページを見てくれる人達はいないみたい。
ここで、Facebookのアドレスを載せるかは、今は決めかねるので、またいずれ。


2015年6月21日日曜日

日曜の朝

今日は日曜日。

ここ数週間前から、主人が元気になった。突然。

去年2月から5週間、モンツアのサンジェラルド病院のICU、そして普通病棟で1ヶ月。
その後、退院して、即病院から、救急車で、コモの先、スイス国境近くのランツォ ディンテルビのリハビリセンターに、1ヶ月入院。
そして、ようやく我が家に戻ってきたけど、退院したとはいえ、そこからの私たちの闘いは続き。特に、退院後から、日々悩まされていた、目眩が、ここ1ヶ月前から、なくなり。気持ちも明るくなり。体調が少し良いと、アクティブに行動するようになり、表情も良くなり。まだまだ、健康問題を抱えているけど、目眩がなくなったのは、とても大きな前進。

私たちに、"普通"の日常が少しずつ戻りつつある。
本当に、感謝。
ここまで回復してくれたからこそ、こうして少しずつ穏やかな日常が送れる。

そしてここ最近の日曜の朝は、主人が比較的近所のバールに行き、私にブリオッシュを買って来てくれる。そこのバールのブリオッシュはとても美味しく、主人がバールが戻るまで、私は、主人が朝食で飲むココア、そして私が飲むカフェラッテを準備。
そして、家で、犬たちと一緒に朝食。
これが、私たちの最近の日曜の朝。

毎週日曜の朝、こうして主人が私のために、ブリオッシュを買ってきてくれることが、美味しいブリオッシュを更に美味しくしています。

piano pianinoの意味

piano pianinoとは。

イタリア語で、pianoピアノとは、ゆっくりと、のんびりと、という意味。
そして、ピアノ、ピアニーノと言うと、とってもゆっくりという意味。
この言葉は、主人が、去年入院していた際、主人がICUに5週間いた際、毎日医師から、
死を覚悟するようにと言われ続け、暗闇の中にいながらも、少しずつ、回復までもいかないけども、前進する際に、医師から言われた唯一のポジティブな言葉。

今でも、私たちの生活は、ピアノピアニーノ。ピアノピアニーノに、前に進んでいる。

日々、立ち止まったり、後退したりしながらも、ピアノピアニーノに、私たちの未来に向かって生活していることを記しておきたいと思う。

日記のように、そして私たちが前進するときの喜びや葛藤などを書きたくて、私や主人のことを交えながら、ミラノアミーチhttp://milanoamici.blogspot.itとは、別ブログにします。